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ICC:国際刑事裁判所 2件目の裁判 コンゴ武装勢力指導者に無罪判決

検察官 コンゴ民主共和国内での捜査を強化すべき

(ハーグ)-国際刑事裁判所(ICC)は2012年12月18日、コンゴ武装勢力指導者マチュウ・キュイ・ングジュロに対する全容疑について無罪を言い渡した。コンゴ民主共和国で起きた残虐行為について、そのほかの関係者の訴追に向けて国際刑事裁判所は活動を強化すべきだ。

国際刑事裁判所第二法廷の3名の裁判官は、マチュウ・キュイ・ングジュロ(Mathieu Ngudjolo Chui)が2003年2月にコンゴ民主共和国イトゥリ州ボゴロ村攻撃の際に行われた戦争犯罪および人道に対する罪を犯したことを「合理的疑いを超えて」立証するには証拠が不十分であると判決を下した。この裁判の唯一の焦点が、ボゴロ村への攻撃だった。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ国際司法アドボカシー・ディレクターのゲラルディン・マッティオリ=ゼルツナーは、「ングジョロへの無罪判決は、ングジョロ率いる部隊が行ったボゴロ村などの村々での虐殺事件の被害者たちを、法による裁きないまま放置することを意味する」と指摘する。「国際刑事裁判所検察官は、イトゥリ州で戦った武装グループを支援したコンゴ政府、ルワンダ政府、ウガンダ政府など各国の政府高官も捜査対象に含め、重大犯罪の加害者に対する捜査を強化する必要がある。」

ングジョロは、主にレンドゥ族で構成される武装グループである国民主義・統合主義戦線(以下FNI)の参謀長だった。FNIおよびそれと同盟関係にある武装勢力は主にヘマ族戦闘員から成り、トマス・ルバンガが率いる民兵組織・コンゴ愛国者同盟(以下UPC) と闘っていた。ルバンガは国際刑事裁判所で最初に裁かれた人物で、イトゥリ州武力紛争の際、少年兵を徴用・行使した容疑で、2012年3月に有罪判決を受けている。

コンゴ政府はングジョロをコンゴ陸軍大佐として任命した。その後、コンゴ政府は2008年2月、軍事訓練中に首都キンシャサで彼を逮捕。ングジョロの裁判には、2009年11月、ボゴロ村虐殺事件の共犯の容疑で、同盟関係にあった民兵組織コンゴ愛国的抵抗戦線(以下FRPI) 指導者ジェルマン・カタンガの事件が併合された。 

判決で裁判所は、2003年のボゴロ村襲撃当時、ングジョロがレンドゥ族武装グループの指導者であった事実について、検察官は合理的疑いを超えて証明できなかったと判示。同事実認定を前提として裁判官は、ングジョロがボゴロ村襲撃を行う共同計画に参加したか否かについて判断することを避けた。裁判所はングジョロには責任を認められないとするこの判決が、「2003年2月24日にボゴロ村で犯罪が行われなかったとか、コミュニティーが受けた当日の苦しみに疑問を呈する」などの意味では全くないと強調した。

前出のマッティオリ=ゼルツナーは、「新たに選出されたファトゥ・ベンソ-ダ検察官と国際刑事裁判所のアウトリーチユニットは、コンゴ東部の被害コミュニティー、とりわけFNI部隊の手によって苦しんだ人びとに対し、今回の判決の意味と次のステップについて説明すべきだ」と指摘。「裁判に提出された証拠が不十分であったという裁判官の指摘を考慮すれば、ベンソ-ダ検察官は捜査業務と起訴方針を改善すべく取組みを急ぐべきである。」

先月ハーグで開かれた国際刑事裁判所締約国会合で、ベンソ-ダ検察官は検察局による捜査の改善に全力を傾ける旨を表明した。

検察官は、ングジョロに対する無罪判決を不服として控訴する場合、30日以内に行う必要がある。

国際刑事裁判所は2012年11月21日、ボゴロ村虐殺事件での戦争犯罪と人道に対する罪で起訴されているングジョロとカタンガの裁判を分離し、カタンガが刑事責任を負うべき犯罪行為を再検討することに決定。一方カタンガの弁護士はその決定に対して不服申立する意向を明らかにした。このような事態の進展を考慮すれば、カタンガへの判決言い渡しは、今後数カ月は行われないとみられる。

裁判で提出された証拠は、FNIとFRPIに対する戦略指示、そして資金・軍事的支援の提供についてコンゴ政府とウガンダ政府の軍高官や有力政治家が果たしていた役割について、ヒューマン・ライツ・ウォッチが明らかにした事実を裏づけている。特に裁判は、統合作戦軍事司令部(あるいはEMOI)として知られる秘密機構の下、コンゴ陸軍がまとめて2002年9月ごろに始めた秘密軍事作戦の存在を明らかにした。その秘密機構は軍事作戦を計画すると共に、イトゥリ州のコンゴと同盟関係にあるFNIや FRPIなどの勢力に、武器・兵士・資金援助を提供していた。

1999年〜2005年までコンゴ東部で続いたイトゥリ紛争とそれに続くほかの紛争は、コンゴ軍部隊ではない武装勢力による介入を特徴としていた。イトゥリ州は、ウガンダ政府、ルワンダ政府、コンゴ政府が介入した戦場となった。これらの政府は、複数のコンゴ武装グループが国際人道法に著しく違反している証拠が十分にあるにもかかわらず、こうしたグループに政治・軍事的支援を提供。正義を求めるコンゴ人被害者のために、イトゥリ州武装グループの後ろ盾となっていた政府関係者たちを捜査することが、国際刑事裁判所にとって極めて重要である。

北キブ州で最近起きている事件についても同じことがいえる。4月に始まったM23による反乱は、武器・新兵・資金ほかの直接的軍事援助を提供してきたルワンダ軍高官が後ろ盾となっていた。M23は広範囲に戦争犯罪を行ってきている。その指導者のひとりボスコ・ンタガンダは、ルバンガの右腕だった期間中の2002年〜03年にかけて、イトゥリ州で行われた少年兵の徴用と使用および殺人・略奪・レイプなどの容疑で、2006年以降、国際刑事裁判所から指名手配されている人物である。

「ングジョロ率いるFNIのようなイトゥリの民兵組織は、単独では行動しない。コンゴ住民を恐怖に陥れているンタガンダのM23が単独で行動していないのと全く同じだ」と前出のマッティオーニ=ゼルツナーは指摘。「国際刑事裁判所の検察官は、コンゴ東部で人権侵害を行っている武装グループに対し、武力面・経済面で支援している政府高官にもっと注目して法の正義を実現すべきだ。」

2003年から活動を開始した国際刑事裁判所にとって、ングジョロ裁判は判決段階にまでたどりついた2番目の事件。中央アフリカ共和国関連の公判がひとつ進行中、ケニア関係の公判が2013年に開始する予定で、またコートジボワールの前大統領ローラン・バボに対する容疑を確定する審理が2013年2月に始まる見込みだ。

背景

1999年〜2005年までの間のコンゴ東部イトゥリ州で行われた紛争の過程で、看護師マチュー・ングジョロ・キュイは、愛国主義統一戦線(以下FNI)として知られるレンドゥ族武装グループの軍幹部指導者となり、2003年には軍参謀長の地位についた。

ングジョロは2003年10月、敵対する武装グループ関係の実業家を殺害した容疑により、国連平和維持部隊の協力でイトゥリ州州都ブニアで逮捕された。政府は後にングジョロを、2003年5月にチョミア(Tchomia)の町においてFNI部隊が行った虐殺事件に関する戦争犯罪で立件、ブニアからキンシャサのマカラ刑務所に移送した。

2005年にFNIの政治・軍事幹部指導者の一部が失脚した後、ングジョロは、以前の民兵グループの残存部隊で構成する新たな武装グループの設立を助け、そのグループはコンゴ革命運動(以下MRC)として知られるようになった。

2006年半ばにングジョロは、指揮下にあるMRC部隊の武装解除とコンゴ国軍への統合に合意するコンゴ政府との協定に署名、彼も大佐の階級で国軍入りを果たした。重大な人権侵害への彼の関与について、更なる捜査は行われなかった。2007年11月にングジョロは、キンシャサで軍事訓練を積むためブニアを離れ、国際刑事裁判所の逮捕状に応えたコンゴ政府により2008年2月にキンシャサで逮捕された。

FNIおよびそれと同盟関係にある民兵組織、コンゴ愛国的抵抗戦線(以下FRPI)は、ウガンダ政府から軍事援助と資金援助を受け、2002年後半からは、ルワンダ政府が援助するルバンガの民兵組織によって奪われた領地を取り戻そうとしていたコンゴ政府からも援助を受けた。2003年にコンゴに駐留していた際、ウガンダ軍部隊はFNIおよびFRPIと共同軍事作戦を行っている。2002年と2003年中、FNIおよびFRPIは、国家主義的な反政府勢力・コンゴ民主連合-解放運動(以下RCD-ML)からの軍事訓練と援助の恩恵も被り、次にムブサ・ニャムウェジに率いられることとなった。ニャムウェジはその後、コンゴ政府内で高い政治的地位を得ることとなり、2007年〜08年までは外務大臣を務めている。

ングジョロとカタンガの公判は、2009年11月24日に始まった。両名は戦争犯罪7件、人道に対する罪3件の間接共犯として起訴された。国際刑事裁判所検察局は24人の証人を招致し、被告弁護団はカタンガについて17人とングジョロについて11人の証人を招致した。国際刑事裁判所史上初のことだが、被告人自らも証人として出廷した。ングジョロの弁護団は裁判開始後2年を経過する前の2011年11月11日に休眠状態となった。

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