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ファティマツ・ヤムサ(Fatimatu Yamsa)は、キリスト教徒の民兵組織「アンチバラカ」が道路を封鎖しているのを見た瞬間に、迫り来る虐殺の危機からの必死の逃亡が失敗に終わったことを悟った。ファティマツは中央アフリカ共和国の首都バンギから約100キロ北東に位置するボヤリ(Boyali)の町でトラックに乗っていた。死が迫ったことを悟った彼女は生後7カ月の赤ん坊を、隣にいたキリスト教徒の女性に託し、そしてどうか自分の赤ん坊のふりをしてほしいと懇願した。

「次の町にたどり着けたら、どうかヤムサ一家に私の赤ちゃんを渡してください。」車から降りるよう命じられたとき、ファティマツは女性にそう請うた。

赤ん坊の命は救われ、ファティマツは殺された。トラックが走り去るとき、彼女とほかイスラム教徒の女性2人、そしてその子どもたち4人が、アンチバラカの戦闘員にモスクへ行くよう命じられた。11歳の少年1人は自由を求めて必死の逃亡を決行して助かった。ファティマツたちは、1月14日になたで切り裂かれて死んだ。モスクのすぐ外の乾いた血だまりが、今でもその殺害を物語っている。数日前に私が現場を訪ねたとき、地元村民は恥じ入って目をそらし、子どもたちは廃墟となったモスクの中で遊んでいた。

世界からあまり知られていないアフリカ大陸中央部のこの国で、大量殺りくが起きている。2013年3月に、イスラム教徒が主体の「セレカ」がフランソワ・ボジゼ大統領(当時)を追放したとき、中央アフリカ共和国から政府による統治が消滅。混乱した領土はセレカ指導者層に支配された。一部はチャドやスーダンの出身者たちだ。絶対的な恐怖政治に支配され、何百もの村落が焼き打ちされた。セレカはキリスト教徒が主体の市民たちに遭遇するや、恐怖におののく人びとを手当たり次第に銃撃した。2013年9月に名目上は解散したことになっているセレカだが、その後数カ月にわたり市民を蹂躙し続けた。そんな中でキリスト教徒が主体のアンチバラカが同様に、人権侵害行為でセレカの暴力に対抗し始めたのである。

A mob of Muslims attack and attempt to lynch a Christian man, second from left, who works transporting goods to the market, in a revenge-attack for the killing of one of their community members. He escaped. January 23, 2014.
© 2014 Marcus Bleasdale/VII for Human Rights Watch

セレカのミシェル・ジョトディア氏は自らを暫定大統領と名乗ったが、国際社会の圧力を受け今年1月10日にその座を追われ、ベニンに庇護を求めて亡命。争いの決着がついてしまったことに気がついたほか多くのセレカ指導者が、日々国外逃亡を図っている。セレカの元大統領護衛部隊長のイサ司令官は私に「今やどの幹部も自身の安全確保が課題だ。我々はみな、ここを脱出するすべを模索している」と言った。

セレカ逃走の余波を受け、イスラム教徒共同体は、キリスト教徒の民兵組織アンチバラカの復讐に直面している。アンチバラカはもともと盗賊団対策のためにボジゼ元大統領により設立されたが、現在はセレカとの闘争のために改変されている。構成員の大半が、過去10カ月にわたり恐怖政治に苦しんできたキリスト教市民だ。商人や遊牧民、Peuhl民族系牛飼いからなるイスラム教市民が、町から町で攻撃・虐殺され、彼らの住居やモスクも破壊されている。

The body of Mohammed, 20, killed by a grenade from anti-balaka forces in the PK12 neighborhood of Bangui while searching for food. During preparations for his burial, the mosque was attacked and everyone had to flee. January 23, 2014.
© 2014 Marcus Bleasdale/VII for Human Rights Watch

首都バンギにあるイスラム教徒の居住区PK13からセレカが逃走した直後の先週水曜日、何百人規模のアンチバラカ戦闘員が到着、残っていた住民を追い回した。こうした住民たちは現地では比較的安全だったルワンダ平和維持軍の駐屯地に逃れていた。私たちの周りにあるすべて、そして家々が、陶酔した破滅の空気が満ちるなか組織的に略奪・破壊された。町一番のモスクもなたを振り回す戦闘員の集団に解体された。彼らは私たちに、「もうイスラム教徒はいらない。我らが全員終わりにする。この国はキリスト教徒のものだ」と言った。

私はアンチバラカにPK13の住民をそっとしておくよう懇願した。が、彼らは何の慈悲も見せなかった。「ならお前がやつらをここから逃せ。さもなくば、明日の朝には全員死んでいる。復讐を果たすんだ。」

首都バンギにある遺体安置所の死亡記録は、ダンテの「神曲」地獄編さながらだ。拷問やリンチ、銃撃や火炎で殺された人びとの記述がページからページへと続く。これだけ多くの人が一度に死亡すれば即時の埋葬が不可能なため、腐敗した死体から漂う臭いに圧倒される。本当に最悪の日々には、死亡の記録が停止する。死者は名前の記録ではなく、その数を数えられるのみになるのだ。悪臭と恐怖のなか、私たちがそこにいることができた15分の間に、更に2つの遺体が運ばれてきた。なたで切り刻まれたイスラム教徒と、セレカに撃たれたキリスト教徒だった。

セレカの武装解除を担当しているフランス平和維持軍は、事態の介入に消極的だ。アンチバラカの復讐で無防備なイスラム教徒たちが惨殺されている今でさえも、中立を堅持せねばならないと私に言う。装備はやや劣るアフリカ連合部隊(MISCA)では、とりわけルワンダ、ブルンジ、コンゴ民主共和国軍がより積極的だ。ルワンダ軍の司令官は私に、中央アフリカ共和国への介入は自分そして隊員にとっては個人的な思い入れがあると言った。「今ここで起きていることは、1994年に私たちの国で起こったことを思い起こさせるのです。ルワンダ1994を再び起こさないと、固く心に決めています。」こうして様々な協力体制がしかれているにもかかわらず、現地の平和維持活動は現実の殺りくの規模に見あった行動を全くとれていない。ただ圧倒されているという状況だ。殺りくを止めるには、いまや国連平和維持軍の派遣しか残されていない。

小さな希望の光もある。大半のキリスト教市民にとって、セレカの逃走は恐怖政治の終焉を意味するものだった。一度は村民がやぶの中に避難することを余儀なくされ完全な廃墟と化した村落が、徐々に息を吹き返しつつある。破壊された家々も建て直されている。

もうひとつの町ボアリ(Boali)では先週、ザビエル=アルノー・ファグバ(Xavier-Arnauld Fagba)神父が、身の危険が迫っていた700人超のイスラム教徒を町のカトリック教会施設に避難させた。日曜日には愛と和解をキリスト教信者たちに説き、信者を外に導くと、イスラム教徒の隣人たちとの平和の握手を促した。「不正義の前に沈黙し、立ちすくむことはできません。勇気を持たねば」と彼は説く。「キリスト信者であるということは、単に洗礼を受けたということではないのです。真の信者は愛と和解に生きるのであり、殺りくは許されません。」

あまりに多くの殺りくを目撃した私は、涙を必死でこらえつつ彼の言葉を聞いていた。どうかこのメッセージが人びとの心に届くようにと願いながら。

Father Xavier-Arnauld Fagba with local Muslims sheltering in his care at St. Pierre’s Church in Boyali. He sought out and offered sanctuary to 700 Muslims in his town who were under attack by anti-balaka forces. January 26, 2014.
© 2014 Marcus Bleasdale/VII for Human Rights Watch

 

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